さようなら原発!栃木アクション2024に参加(環境問題を考える会)
公開日:2024年11月27日 最終更新日:2024年11月28日
福島原発事故の後、県内でも下野市議会を含む多くの市町議会が脱原発のエネルギー政策を求める意見書を採択し政府に提出しました。しかし多くの国民の思いに反して各地の原発が再稼動され、増え続ける汚染処理水は海洋に投棄される一方、除染した汚染土や各地に拡散した指定廃棄物は今も処分の目処が立っていません。原子力緊急事態宣言はいまだに解除されず、これだけの被害に誰も責任をとらないままになっています。にもかかわらず、政府は脱原発依存の政策を180度覆し、原発回帰へと政策転換しました。そしてウクライナ紛争によるエネルギー危機を口実に、東海第2を含む老朽化した原発の再稼働と原発の新増設まで画策されています。
こうした中で、次世代にツケを回さないために多くの市民が明確な意思表示をする場として、11月23日(土)宇都宮市内にて「さようなら原発!栃木アクション2024」が開催されました。これは全ての思想・信条・世代を超えて「脱原発」の一点で結集し、県内最大規模の市民パレードとなるもので、当会の有志も例年通り参加しました。参加した市民は約700人でした。以下、当日の写真とともに概要を紹介します。
日時 11月23日(土) 12:20~15:00
集合場所 宇都宮城址公園
集会プログラム
・プレコンサート 12:20〜12:50
・開会の挨拶 13:00(大木代表)
・ゲストスピーチ 樋口英明さん(元福井地裁裁判長)
・県内首長からのメッセージ紹介
・集会アピール(野崎事務局長)
・パレード 14:00〜15:30(宇都宮城址公園~シンボルロード~大通り~宮の橋)
主催 さようなら原発!栃木アクション
会場の宇都宮城址公園には県内各地から市民が続々と集結してきました。
プレコンサートでのバイオリン独奏(演奏は粂川吉見さん)
主催者を代表して開会の挨拶をする大木代表。
県内自治体の首長から届いた激励のメッセージを紹介する司会者
メッセージは小山市長、鹿沼市長、市貝町長、塩谷町長の皆さんからいただきました。
集会メッセージを読み上げる野崎事務局長(下記にメッセージ全文を掲載)
ゲストの樋口英明さんが新幹線のトラブルで遅れたため、ゲストスピーチはこの後になりました。
ゲストの樋口英明元裁判長によるスピーチ。
その内容は論理的、明快でとても分かりやすいものでした。(下記にスピーチ全文を掲載)
宇都宮城址公園の正門を出発するパレード。先頭には樋口元裁判長も参加。
宇都宮城址公園から市役所前へ向かうパレードの皆さん。
シンボルロードから大通りへ向かうパレードの皆さん。
シンボルロードから大通りへ右折するパレードの皆さん。
大通りを二荒山神社前に向かうパレードの皆さん。
沿道からも激励の声援があり、飛び入りでパレードに参加する市民もいました。
パレードの先導1号車。
パレードの終点になる宮の橋へ向かう先頭集団の皆さん。
樋口英明元福井地裁裁判長のスピーチ(全文)
1 先入観について
皆さんこんにちは。元裁判官の樋口です。名古屋から新幹線「のぞみ」に乗ろうとしたら、新幹線が動いていなかったのです。やっと動き始めても1時間半の遅れがありました。東京に向かっている途中で「東北新幹線も遅れている」との情報が入り、東京駅での乗り換え時間も考えると「絶望的かな」と思ったのです。ところが、東北新幹線が遅れていたおかげで、その遅れていた新幹線に全く待つことなく乗ることができました。皆様をやきもきさせた分、皆さんに役立つ話をしなければと思っています。
ここに集まられた方はほとんどが脱原発の強い信念をお持ちの方だと思います。脱原発派に正義があることは明らかです。原発はトイレ無きマンションといわれますが、近づくだけで20秒で死んでしまうような毒物を10万年以上にわたって後世に残すことが許されるわけがないのは当然のことです。トイレどころの話ではないのです。原発が倫理に反するのは明らかです。しかし、倫理観のない人に倫理を解いても極めて効率が悪い。今日私がお話しするのは「原発の危険性」の話です。倫理観のない人でも危険性は分かるはずです。今日皆さんにお話しするのは、皆さんの周りの人に伝えることができるわかりやすい原発の危険性の話です。
昨日、大谷翔平選手が2年連続で3回目のMVPを取りました。その大谷選手の座右の銘は「先入観は可能を不可能にしてしまう」です。「プロ野球では、ましてや大リーグでは二刀流は不可能である」という先入観が多くの選手の才能の芽を摘んできたと思います。しかし、高校時代の佐々木監督も日本ハムの栗山監督もそのような先入観を持っていませんでした。それで、大谷選手は大きな飛躍ができたのです。
脱原発にとって、一番の敵、障害物は何かというと、原発回帰に舵を切った政府でも、電力会社でもないのです。一番の敵、障害物は私たちの心の中にあるものです。脱原発においても第一の障害は「国が進めている以上、原発は必要なのだろう」という先入観です。「我が国は民主主義国家であり、正常な選挙が行われている。そこで選ばれた国会議員が国民の安全を考えないわけがない。総選挙でも原発のことが争点にならなかったのは原発が安全だからだ」と若い人達は思っているのです。これも先入観です。「原子力規制委員会は福島原発事故の教訓を受けてできた組織だから、それなりの厳しい審査をしているはずだ。原子力規制委員会が許可をして現在動いている原発はそれなりに安全だ」これも先入観です。「裁判官とか、大臣とか、重い責任を負っている人は、それなりの見識、責任感、賢さを持っているはずだ」という先入観。これらが脱原発の敵であり、障害物だと思います。その中でも一番の強敵は何かというと、「原発問題は難しい問題だ」という先入観です。これは脱原発派であろうが、原発推進派であろうが、無関心な人であろうが、全員が、「原発問題は難しい問題」だという先入観を持っています。しかし、それは間違っています。私は実際に原発訴訟を担当して原発問題は決して難しい問題ではないと確信したのです。
2 原発問題の本質は2つだけ
原発問題は極めてシンプルです。分かってほしいことは2つだけです。たった二つだけです。①一つ目は、原発はどんなときでも人が管理し続けなければならないということです。管理しないと暴走するのです。②二つ目は暴走した場合の被害はとてつもなく大きいということです。この二つだけなのです。
3 原発は人が管理できなくなると暴走する
原発は、自動車とか、家電とか、あるいは火力発電所とは全く違うのです。何かトラブった時、地震でも、火事でもいいので、トラブった時をイメージしてください。例えば自動車を運転していてトラブりました。車を止めて、JAFを呼べば、それで終わりです。家電でも同じです。扇風機を回して、なんか音がおかしくなったら、コンセントを抜いたら終わりです。火力発電所でも、地震が来たら火を止めれば終わりです。新幹線でも停電したら止まって安全になります。これが私たちの常識なのです。だけど原発だけはそうじゃないのです。原発は止めるだけではダメなんです。止めた後も、水と電気で原子炉を冷やし続けないといけないのです。停電してもメルトダウン、断水してもメルトダウン。原発は私たちの常識が通用しないのです。
福島原発事故では、何が起きたかと言うと、原子炉が地震や津波で壊れたのではないのです。地震で外部電源が断たれ、津波で非常用電源が断たれました。すなわち、単に停電しただけで、原子炉を冷やすことができなくなってしまい、原発が暴走したのです。「全電源喪失」というと、何か凄いことが起こったのではないかと思ってしまうけれど、単に「全面的に停電しました」というだけのことです。
4 暴走したときの被害はとてつもなく大きい
停電したことで、原子炉を冷やすことができなくなって「東日本壊滅」の危機に見舞われたのです。福島第一原発の吉田所長も2号機の格納容器が破裂するだろうと思って、東日本壊滅を覚悟したのです。しかし、考えられないような数多くの奇跡があったことで「東日本壊滅」を免れたのです。数多くの奇跡のうち一つでもなければ東日本は壊滅していたのです。ぎりぎりで東日本壊滅を免れたとはいえ、「原子力緊急事態宣言」は今も続いています。337平方キロメートルの土地が帰還困難区域として立ち入りが禁止されています。337平方キロメートルと言ってもお分かりにならないと思います。この宇都宮城址公園の9千個分です。尖閣列島の50個分です。
5 本質が分かれば結論が分かる
①人が管理し続けなければ暴走する、②暴走したときの被害はとてつもなく大きい。このようなものはほかにはないのです。我々の常識が通用しない技術です。①、②の二つを理解しているかどうかで最近の動き、例えば、老朽原発が許されるかどうか、自民党政権の「敵基地攻撃能力」の政策は正しいかどうかも分かるのです。また、原発訴訟の判決が正しい判決かどうかも分かるのです。
6 老朽原発について
現政権は、原発の本質がわかっていません。これまで原発は40年ルールというのがあって、40年間の稼働とするのが原則だったのです。このルールは当時の民主党、自民党を含む全政党が一致して決めたものです。ところが岸田政権は、このルールを変えてしまいました。そもそもなぜ原発は40年間しか動かしたらいけないのかは原発の本質が理解できると分かるのです。50年前の自動車に乗っている人もいますが、誰もそれをだめだとは言わないでしょう。なぜかというと50年前の自動車に乗っていても、トラブったらエンジンを止めてJAFを呼べば解決するからです。家電が故障してもコンセントを抜けばそれで解決します。
古い原発は古い大型旅客機に似ているのです。50年前の大型旅客機に乗りたいと誰も思わないはずです。飛行機は、原発と同じように、人が管理し続けないといけないのです。ちょっと想像してみてください。50年前の飛行機を操縦していたら、突然燃料漏れが生じました。何とかして近くの飛行場まで行って緊急着陸しなければならない。何とかして近くの飛行場まで行けたのですが、その時に緊急着陸しようと思ったら、高度計が壊れていた。しかたがないので目測で着陸しようとしたら、その時に車輪が出ないということに気がついた。このように老朽化するということは、いわゆる想定外のことが次々に起こるということが想定されるということなのです。原発はよく止まります。裁判所が止める時もありますし、原子力規制委員会の審査に時間がかかる場合もあります。その止まってる間や動いていない期間は40年に含まれないということで期間制限を外そうとしています。これは根本的におかしな話です。我々も眠ってる間も老化していきます。40年ルールを外すということは、人が管理し続けないといけないという原発の本質を理解していないということです。
7 コスト論は正しいか
経済界はすぐにコストの話を持ち出します。私が担当した大飯原発差止訴訟においても関西電力は「原発が止まるとその分火力発電所の燃料代として石油や天然ガスを輸入しなければならないから貿易赤字になってお金が失われる。国富の流出や喪失になる」と主張しました。それに対して、私は、「この問題について国富の流失や喪失の議論があるが、たとえ大飯原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしてもこれを国富の流出や喪失と言うべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根をおろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている」と判決に書きました。この考えは全く変わっていません。原発に関してコスト論は論じるべきではないのです。
しかし、相手方は極めて執拗にコスト論を言ってきます。そこまで言うのなら、売られたけんかは買わないわけにはいかないということでコスト論を論じてみます。東京電力の年間の利益は約2500億円程度です。福島原発事故の経済的損失は、健康被害が一切なく健康被害について賠償の必要がないことを前提に最も控えめに見積もっても25兆円です。25兆円を2500億円で割ると100になる。つまり、一つの事故で巨大企業の100年分の利益が吹き飛んでしまうことになる。このような発電方法のコストが安いといえるわけがないのです。仮に、東京電力の福島第一原発ではなく、ここから60キロメートル東にある日本原子力発電株式会社の東海第二原発が福島原発事故と同規模の事故を起こした場合、地域の不動産時価等が福島とはまったく異なることから、25兆円を遥かに超える660兆円余の経済的損失を生じると試算されています。我が国の予算総額は約110兆円ですから、6年分の予算が飛ぶことになります。我が国は確実に破産するのです。また、福島原発事故で吉田所長が覚悟したように2号機の格納容器が爆発した場合の経済的損失は約2400兆円であったと試算されています。我が国は破滅します。これらの金額を聞いただけで、原発の問題が尋常でない問題であることは明らかです。原発の問題はエネルギー問題でも、環境問題でも、人権問題でもあります。しかし、この数字は原発問題が国の存続の問題、つまり原発問題が基本的には国防問題であることを示しています。
8 原発は自国に向けられた核兵器
ロシアとウクライナの戦争で原発問題が国防問題であることがますます明確になりました。ロシアとウクライナの戦争で最も重要なことはロシアがウクライナのザポリージャ原発を攻めたということなのです。「攻めるぞ」と脅されただけでウクライナは明け渡すしかないのです。ウクライナが原発を守るために大砲をぶっぱなした途端に、ロシアから大砲とミサイルが飛んできます。それが原子炉に当たったら終わりだし、電気施設に当たっても冷やせなくなって終わりだから、ウクライナは抵抗することができない。従業員も、逃げ出したくても、たとえ逃げ出すことができたとしても、逃げ出せない。なぜなら自分らが逃げ出すと、原発が管理できなくなって暴走するからです。だから逃げ出せない。進退窮まることになるのです。原発の存在は、防衛上、最も不利なのです。
日本は54基もの原発をしかも海岸沿いに並べてしまったのです。その時点でどの国と戦争しても勝てません。原発を動かそうという話と敵基地攻撃能力を持とうという話は矛盾するのです。あえてこのことを説明すると、岸田さん達は「テロリストや仮想敵国が日本の原発を狙うことはない」というテロリストたちに対する高い信頼を持っているということです。それ以外に合理的な説明ができないのです。原発は自国に向けられた核兵器です。それを除去するのに何十兆円という膨大な防衛費も難しい外交交渉も不要です。自国に向けられた核兵器を除去することは、「豊かな国土を守り次の世代に受け継がせよう」とする意思さえあれば簡単に踏み出せる道です。
9 原発差止訴訟の本質
原発も難しい問題だ、ましてや原発訴訟はとてつもなく難しい問題だと誰しも思いがちです。これも先入観です。家が倒れたりするような強い地震ではなくても停電や断水は生じます。だから配電や配管の耐震性を高めるのは難しいのです。しかし、原発では配電や配管の耐震性が問題となります。そこで、大飯原発の訴訟における原告住民の言い分は「大飯原発の敷地に強い地震が来ると、原発は耐えることができずに事故になります。どうぞ我々を守ってください」というものです。これに対して、関西電力は次のように答えました。「大飯原発の敷地に限っては強い地震は来ませんから安心してください」。この電力会社の言い分を信用するかしないかが原発差止訴訟の本質です。本質さえ分かれば何も難しい問題ではありません。
10 脱原発への展望
2024年は1月1日の能登半島地震の衝撃から始まったといえます。震源地である能登半島先端部にある珠洲市や輪島市では極めて多くに家屋が倒壊しました。隆起は最大5メートルに及び海岸線が遠のいたことで、福井県の面積より狭かった石川県の面積が福井県を上回ることになったのです。そして、その震源地に珠洲原発が建てられる予定だったのです。もし、そこに珠洲原発が実際に建設されていたとしたら、福島原発を上回る事故となっていたでしょう。28年間に及ぶ住民の粘り強い反対運動に感謝しなければなりません。
実はそれだけではなかったのです。元日の能登半島地震で一番強い揺れを記録した志賀町富来とぎ地区は志賀原発の当初の立地予定地であったのです。しかし富来地区の住民の反対によって、富来から約10キロ南に現在の志賀原発が建設されたことが志賀町のホームページに紹介されています。富来では震度7でしたが、志賀原発の敷地では能登半島地震の揺れは震度5強にとどまったのです。それでも復旧に2年半を要するような被害を被ったのです。震度5強の上には、震度6弱、震度6強、震度7があります。震度7に襲われた富来に志賀原発が建設されていたら福島原発事故に続く悲劇は避けられなかったはずです。
一体我々はどこまで市民運動に助けられてきたのでしょうか。我々は一体どれだけ幸運に恵まれてきたのでしょうか。果たしてこの幸運はいつまで続くのでしょうか。政府や電力会社はそして我々もいつまで幸運に頼るつもりなのでしょうか。多くの人が早期に我が国のすべての原発を止めて脱原発を実現することは極めて困難あるいは不可能だと思い込んでいます。しかし、私はそうは思っていません。
今日お集まりの多くの方々のうちのほんの一握りの人でも良いのです。その人が私の話を聴いて「原発の危険性」が分かったのなら、そのことをあなたの大事な人、二人に伝えてください。嫌いな人に伝える必要も、3人に伝える必要もありません。その際、「あなたも私の話が分かったのなら、あなたの大事な人二人に伝えてください」と言ってください。そうすれば1年以内に1億2000万人の人に伝わります。そのことをお願いして私の話を終わります。ご清聴ありがとうございました。