新緑の足尾銅山遺跡ツァーに参加
公開日:2024年06月04日 最終更新日:2024年06月06日
足尾銅山は日本における公害の原点として知られていますが、明治以降の国策の下、戦時中は朝鮮人まで動員して銅の生産を支えた戦争遺跡でもあります。更に、排煙の害で消滅した周辺の山林は植樹ボランティアの努力で着実に緑を取り戻しつつあるなど、環境保全活動のモデルにもなっています。5/18(土)好天の下、足尾銅山遺跡ツァーに当会の有志が参加しました。新緑の中、わたらせ渓谷鉄道からの絶景を堪能し、銅山製錬所の貴重な遺構に間近で触れることができました。以下、概要を写真で紹介します。
日時 2024年5月18日(土) 7:30〜
行程 自治医大駅〜小山駅〜(両毛線)〜桐生駅〜(わたらせ渓谷鉄道)〜間藤駅
〜銅山社宅跡〜水力発電所跡〜本山小学校〜トラス橋〜本山製錬所跡(大煙突)
〜銅(あかがね)親水公園(昼食)〜(バス)〜日光駅〜宇都宮駅〜自治医大駅
主催 下野市九条の会
↑ わたらせ渓谷鉄道と足尾銅山遺構のマップ(赤丸は今回のツァーの要所を示す)
わたらせ渓谷鉄道(略称「わ鉄」)の起点、桐生駅のホームで出発を待つ列車
本来はトロッコ列車に乗る予定だったが、事故で2両編成が1両になってしまい満席で乗れないため、この普通列車に乗ることになった。(トロッコ列車は窓がオープンになっている)
桐生駅を出発した列車は新緑の中を足尾に向けて走る。
新緑の中、右下に見えるのは渡良瀬川の流れ。この先に草木ダムがあるが、車窓からは見えない。
列車内では車内サービスで飲食物やキャラクターグッズの販売がある。
神戸(ごうど)駅でしばし停車。駅にある列車のレストラン「清流」。特製駅弁も販売している。
神戸駅で陸橋の上から南側(桐生方面)を望む。
この辺りから渡良瀬渓谷鉄道もトンネルが多くなる。
渡良瀬川の鉄橋を渡ろうとする列車
沢入(そうり)駅でしばし停車。駅舎は無人。
渡良瀬川の上流。水量は少ないが、水はきれいに澄んでいる。
わ鉄の終点となる間藤駅に到着。駅舎は立派だが無人駅。ここから徒歩で本山地区を北上する。
間藤駅から先は廃線になっているため車両止めがある。ここから列車は折り返し運転になる。
足尾銅山製錬所の社宅の遺構。保存されているが傷みが目立つ。
社宅の向かい側にある建屋。「木型倉庫」とあるが、中に入るとかつては共同浴場だったことがわかる。
木型倉庫の中にある共同浴場の浴槽。隣室にボイラーもあり、当時としては立派な施設だったと思われる。
本山製錬所に向かう廃線の遺構。侵入できないようになっている。
旧本山小学校の遺構。平成17年、足尾小に統合され廃校となった。
間藤水力発電所跡。明治23年に建設された水路式発電所で出力は400馬力。
その電気は坑内の排水や坑内電車、電灯に利用され、銅山近代化の原動力になった。
同上水力発電所跡に残る直径1mの鉄管。溶接ではなくリベットで成形されている。
比較的新しい集合住宅。駐車場に車があり、住人がいることがわかる。
通り沿いに残る古い町並み。殆ど空き家で痛みが目立つ。
足尾銅山の人口は最盛期(大正時代)には38,000人で、県内で宇都宮市に次ぐ規模だったと言われる。
赤倉地区で渡良瀬川にかかるトラス式鉄橋。向こう側にあるのは本山製錬所の遺構。
同上。トラス橋の橋桁は木製で朽ちているため渡れない。隣にかかる橋から渡良瀬川の上流を望む。
橋を渡った西側から本山製錬所を見る。ここに足尾本山駅(鉄道の終点)があった。
本山製錬所の全景。足尾銅山の歴史と共に歩んだ製錬所。亜硫酸ガスの煙害対策として新技術も導入した。
昭和48年2月に閉山し、平成元年に完全操業停止した。
大正8年に建てられた大煙突(製錬所のシンボル)。
この排煙(亜硫酸ガス)による環境汚染が深刻になり、戦後に対策として最先端の脱硫技術を導入した。
赤倉地区に残る赤煉瓦防火壁。火事による木造住宅の延焼を防ぐため設けられたという。
銅(あかがね)親水公園の入り口にかかる銅橋(県内初の人道用斜張橋)
銅橋の上から見る足尾砂防堰堤の滝。
銅親水公園内の施設。左は足尾環境学習センター、右はフリーの休憩所(ここで昼食をとった)。
銅親水公園から見た付近の山肌。
まだ不完全だが植樹で蘇った緑地があり、植樹作業時に使用すする梯子段も見える。一度失われた自然環境を復元することの大変さを改めて実感した。
赤倉の本山製錬所前に戻る。ここより日光市営バスで日足トンネルを経由し日光市内へ向かう。
日光市内を走る市営バスにて。(JR日光駅から宇都宮駅経由で自治医大駅へ戻る)お疲れさまでした。