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福島原発周辺地区の現状を視察(環境問題を考える会)

公開日:2022年11月23日 最終更新日:2022年12月23日

 福島原発事故の後、県内でも下野市議会を含む多くの市町議会が「脱原発のエネルギー政策を求める意見書」を採択し国に提出しました。しかし、事故から11年過ぎた今も3万人以上の方が避難生活を強いられる一方で、各地の原発が再稼動され、福島の汚染水は増え続け、除染した汚染土や各地に拡散した指定廃棄物は今も処分の目処が立っていません。福島の帰還困難区域では地域崩壊や家族断絶が進む中、これだけの被害に誰も責任をとらないままになっています。更にウクライナ紛争では原発が戦争の標的になることも明らかになりました。
 このような背景の下、福島原発周辺の現状を改めて体験するため市民団体による現地視察会が3年ぶりに企画され、当会からも有志が参加しました。以下、現地での写真と共に概要を紹介します。

日時 11月5日(土)~6日(日)
視察経路
1日目:道の駅川俣(集合)~飯舘村~南相馬市原町区(昼食)~南相馬市小高区の同慶寺(住職と懇談)
    〜南相馬市小高駅区の双葉屋旅館に宿泊(女将と懇談)
2日目:大悲山の石仏見学〜浪江町役場津島支所(集合)~津島スクリーニングセンター~浪江町津島区
    (帰還困難区域)〜道の駅浪江(昼食)〜双葉町(伝承館)
主催 原発いらない栃木の会(当会も参加)
参加者 栃木県内の市民10名

 3年ぶりの視察だったが、今も終息しない現地の大変な状況について、放射線量をチェックしながら実感することができました。甚大な被害の記憶が薄れかねない中、私たちは改めて原発事故のもたらした実態に向き合う必要があると思います。

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東北自動車道を二本松ICで降りる。この後、国道4号線を北上して川俣町へ向かう。

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当日の集合場所となった道の駅川俣。

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道の駅川俣に参加者全員が集合、出発前のミーティングで大木代表と地元案内役の相馬勉さん(背中の方)から予定ルートを聞く。
相馬さんは震災後すぐ南相馬市で被災者の心のケアに当たった臨床心理士として地域の情報にも詳しい。

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川俣町から飯舘村へ向かう。途中、道の駅までい館で小休止。

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道の駅までい館にあるモニタリングポスト。
この周囲は徹底除染しているので線量は0.1μSv/h(1mSv/年に相当)を下回る。

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上記モニタリングポストから数メートル離れた草むらでは線量が1μSv/hを超える。

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飯舘村の中心部。街中に人影は見えない。3年前にはあった空家の建物が撤去されていた。

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除染土の仮置き場だったところ。表土を除染した後、農地にするためか新しい土が盛られている。

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南相馬市の一角。モニタリングポストは0.36μSv/hを示していたが、その向こうにある民家には人が住んでいる!

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上記場所でモニタリングポストから離れた草むらでの線量は1μSv/hに近い。

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南相馬市原町区の大甕食堂で昼食。名物のほっき飯定食に舌鼓を打つ。

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南相馬市小高区の同慶寺(曹洞宗)境内。3.11の遺構と思われる崩れたままの石燈籠。

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住職の話を聞くため、同慶寺の本堂に集まる参加者一行。

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同慶寺住職の田中徳雲さんより震災と原発事故の被害実態について生の体験談を聞く。
ローマ法皇と面談し、脱原発で意気投合したという住職の話は大変興味深いものだった。

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田中住職の話を聞いた後、同慶寺の墓地にある故藤島昌治さんの墓に墓参。
藤島さんは原発事故で避難を強いられ、南相馬市鹿島区の寺内塚合第2仮設住宅に入居して自治会長を務めながら、行き場の無くなった人たちの暮らしを支え続け、2019年に73歳で亡くなったとのこと。

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参加者一行が宿泊した南相馬市小高区の双葉屋旅館。間口は狭いが奥に長い町屋のような造り。

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双葉屋旅館の館主夫婦は震災以来、原発事故の参考とするためチェルノブイリを3回訪問している。
その貴重な足跡が「フクシマ・ウクライナ交流の道」として廊下に展示されている。

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夕食時には女将(小林友子さん)が震災当時の体験と思いを語ってくれて大いに盛り上がった。

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夕食のテーブルで参加者一同の記念写真。

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2日目の朝。双葉屋旅館は常磐線小高駅の駅前にある。正面奥は小高駅舎だが、あたりに人影は見えない。

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小高駅前の高級住宅。人が住んでおらず、空家のような状態。

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小高駅舎内に掲示されている路線図。3年前には不通だった双葉地区が貫通している。

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双葉屋旅館を後にし、時間があるので小高区泉沢にある大悲山の石仏(国指定史跡)を見学。

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ここには薬師堂石仏、阿弥陀堂石仏、観音堂石仏がある。日本で石仏の遺構は珍しいという。

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浪江町津島活性化センター(浪江町役場津島支所)で現地案内役の今野秀則さんと合流する。
今野さんは津島区長で、福島原発事故津島被害者原告団の団長でもある。
後方に見えるのは建設中の帰還者用住宅。補助金付きで安く提供されるというが、どれだけの人が戻るのか。

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帰還困難区域に入るため、津島スクリーニング場(津島中学校内)に向かう。

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津島スクリーニング場でチェックインした参加者一行。
ここでは全員に累積線量計と防護服(任意)、乗用車毎に無線機が渡される。

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福島県立浪江高校津島校の校舎前で説明する今野さん。津島校は原発事故の影響で休校中。

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津島地区の酪農家。住民は避難しているので空家の状態。

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野生のイノシシが出没して家の周囲を荒らすため捕獲用のワナがある。

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津島地区で道路の両側のみ除染されているところ。農地としては復興していない。

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津島地区に散在する民家。いずれも空家になっており、荒れ放題の状況。

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津島地区にあった養鶏場の廃墟。
原発事故による緊急避難で鶏は置き去りになり全滅した。鶏舎内には今も鶏の白骨が散乱している。

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津島地区にある長安寺(真言宗豊山派)の敷地。
震災後に寺自体は福島市内の別院に移転しており、建物も撤去されて墓地だけが残る。ここの墓をどうするかも避難住民の悩みの種だという。

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今野さんの自宅で小休止。今野さんは江戸時代から続く松本屋という旅館を経営しており、4代目の当主だという。
歴史を感じさせる建物は太い柱や梁で風格があり、解体するのは忍びないので維持しているという。

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今野夫人から温かい味噌汁とお茶菓子で歓待していただき、一息をつく参加者一同。

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松本屋旅館の向かいにある家。庭の紅葉が綺麗だが、空家状態で解体撤去される予定だという。

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かつては水田だったところ。震災後に放棄されて今は見る影もない。なぜか放棄した水田跡には柳の木が生える。

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かつては水田で震災後に除染されたところ。除草はしているが、農地として復活する目処は立っていない。

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津島区の典型的な田園風景。この美しい土地が帰還困難区域で無人状態であることが信じられない。

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津島診療所。もちろん今は使われていない。
震災直後、ここには持病の薬を失った高齢者等が殺到し、長蛇の列ができたという。

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津島診療所の庭先(地面)で放射線量は1μSv/hを超えている。

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当初の予定だった大野地区・大熊地区への訪問が案内者の都合で中止になったため、代わりとして双葉町にある「東日本大震災・原子力災害伝承館」を最後に訪問した。伝承館は公益財団法人が運営している。写真は伝承館の玄関。

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伝承館内では原発事故当時の記録動画も上映されている。

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内部はかなり立派で展示品も豊富。パンフレットには「震災の記録と記憶を教訓として防災・減災に役立てる」とあるが、原発自体の是非については一切触れていない。

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館内に展示されている帰還困難区域と特定復興再生拠点区域を示す地図。
津島地区にも再生拠点区域があるが、その面積は浪江町の中でもごく一部に過ぎない。

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