福島原発周辺の現地視察に参加(環境問題を考える会)
公開日:2019年12月07日 最終更新日:2022年04月19日
タイトル | 福島原発周辺の現地視察に参加(環境問題を考える会) |
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詳細
福島原発事故の後、県内でも下野市議会を含む多くの市町議会が「脱原発のエネルギー政策を求める意見書」を採択し国に提出しました。しかし、事故から8年過ぎた今も4万人以上の方が避難生活を強いられる一方で、各地の原発が再稼動され、福島の汚染水は増え続け、除染した汚染土や各地に拡散した指定廃棄物は今も処分の目処が立っていません。福島原発事故の責任を問う東電刑事裁判では東京地裁が全員無罪の判決を下し、これだけの被害に誰も責任をとらないままになっています。 |
東北自動車道を二本松ICで降り、国道4号線を北上して集合場所の道の駅川俣へ向かう。 |
道の駅川俣に参加者全員が集合。出発前のミーティングで案内役の大木弁護士から予定のルートを聞く参加者一同。 |
川俣町から県道12号線に沿って飯舘村へ向かう。写真は飯舘村の中にある仮置場。前方にフレコンバッグ(除染土等の袋詰め)の山が見える。周囲の人家は避難したままなのか人影がない。 |
飯舘村の山間部に設置されているイノシシの捕獲用罠。住民が避難した後は人家の周辺にも野生のイノシシが出没しているとのこと。 |
飯舘村の中心部にある放射線モニタリングポスト。今は表示されてないが、手持ちの線量計では0.44μSv/hを表示した。前方の建物は無人の廃墟。 |
南相馬市に入り、牛越地区の仮設住宅を見学する参加者。木造平屋の集合住宅で、今は全て空き家になっている。一旦取り壊して再利用も検討中とのこと。 |
同左。玄関前に設置された共同通路。 |
同左。浄化槽のタンク。 |
同左。高齢者向けの仮設住宅。 |
道の駅南相馬の駐車場から見える無線塔。戦前から国内最大の長波無線塔として使われ、旧原町のシンボルだったが、不要になったのと老朽化で解体され、替わりにミニサイズで復元されたもの。 |
原町地区から6号線を南下して小高地区へ向かう。写真はJR常磐線の小高駅。 |
同左。小高駅社内に掲示されているJR路線図。浪江と富岡の間(双葉地区)がいまだ不通状態であることがわかる。 |
小高駅舎内に表示されている放射線量。ここでは0.115μSv/hと表示しているが、どこで測定しているかは不明。 |
小高駅前の住宅郡。 |
小高駅近くの復興住宅。 |
JR常磐線の浪江駅。 |
浪江駅前のモニタリングポスト。 |
小高地区へ戻り、太田小学校・太田幼稚園を見る。 |
太田幼稚園の敷地内にあるモニタリングポスト。 |
原町大甕地区で高台から汚染廃棄物の仮置場を望む。かなりの量が双葉町の中間貯蔵施設に移送されたらしい。 |
大甕公会堂にて元南相馬市長の桜井勝延さんと面談する参加者一同。桜井元市長からは原発事故当時の被害と市民の避難対応、その後の復興努力等、厳しい体験が生々しく語られました。 |
原発事故当時の深刻な状況と市民の避難誘導、その後の復興努力等、厳しい体験が生々しく語られました。 |
原町地区のホテルにチェックインした後、南相馬市内で桜井さんを囲んでの夕食会が催され、親睦を深めることができました。 |
参加者一行が宿泊したビジネスホテル「ジュネス・リヴィエール」。 |
2日目、再度浪江町へ向かい帰還困難区域に入るため、加倉スクリーニング場でチェックを受ける参加者の車。ここでは氏名等を確認し、累積線量計や放射線防護服(着用は任意)が渡される。 |
帰還困難区域の標識。 |
旧双葉町役場の建物。 |
福島第1原発に近い中間貯蔵施設の道路ぎわに放置された車。 |
同左。中間貯蔵施設に集積された汚染廃棄物の山。これは中間貯蔵だが、最終処分場はどうなるのだろうか。 |
左記の近くにある焼却灰保管場の建設現場。 |
双葉町内を案内していただいた武藤さん(双葉町の行政区長)の自宅付近を視察する参加者。 |
国道6号を南下し、富岡町の東電・廃炉資料館を訪問。 |
同左、廃炉資料館の内部で展示物を見る参加者。 |
福島第2原発の敷地入口にあるスクリーニング場。ここで累積線量計を返却する。因みに参加者の累積線量は0.7~0.9μSvでした。 |
同左、駐車場で視察終了のミーティングを行う参加者。 |
帰還困難地区等の地図。 |