文化財記念碑設立碑
公開日:2020年08月28日 最終更新日:2022年04月19日
詳細
石橋愛宕神社境内には、古墳時代後期の出土石棺が保存されている。この石棺は東北新幹線工事の為に出土されこの地に、移設されて保存されている。大きい出土石棺下敷石座は約二トン・(写真後方右)石棺屋根蓋5トン(写真後方左)という巨石である。約千二百年前にどうやってこの地に運ばれて来たのだろうか? 重機なんか無い時代に傍らの文化財記念碑にはこのように記されている。 |
愛宕塚実測図
調査主体者は、栃木県教育委員会・日本国有鉄道東京第三工事局
調査協力者は、石橋町教育委員会・宇都宮大学考古学研究会
調査担当者は、常川秀夫氏・赤山容造氏
調査参加者は、笠野初次氏・柴山保一氏を含めて男女10名
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女 神 碑
私たち石橋で生まれ育ちし人び
とのふるさと昔愛宕塚には愛宕
神社が在り 石橋町字白山五六
番地 鎮座一、七六九坪御祭神
火産命人皇第四六第孝謙天皇天
平法字年間の創立と伝えられ石
橋宿外十三村ヵ村の郷社に指定
明治十年法改正に依り指定村社
となる 明治十七年東北鉄道開
通の為境内の高地の中腹を切断
せられ線路となり鉄道会社に於
いて長十二間二一m巾九尺二、
七m橋梁を布設し参詣に便ならしめたり大正元年八月複線工事
に付宿並西側三六五番地境内一、七六〇坪稲荷神社の鎮座合祀社
各上位に付愛宕神社と致す
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古図 野州都賀郡石橋宿南部
天保14年(1843)4月徳川将
軍日光社参時の行程を示した
道中図
中央北下に石橋稲荷大明神
中央上に花木権現
中央南上石橋愛宕神社
愛宕神社参道には山門ある
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出土した須恵器大甕
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昭和四八年五月東北新幹線工事
となり旧愛宕神社発堀基壇石棺
敷座二トン屋根ふた五トン遷し
氏子総代自治会長及崇拝者の協
賛を得て永久に保存いたすもの
なり 昭和四十九年10月辰
愛宕神社宮司萩野谷慶治謹書
残念なのは、各種資料には下石橋愛宕塚と名を誤って報じられている。栃木県下都賀郡旧石橋町字白山56番地であり、なんでこうなったかは不明である。
また、白山権現と愛宕権現は同じと言われている石橋字白山の字名は愛宕白山権現から字名が付けられているのでは?
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出土品 多数の馬具類 |