福島視察会に参加し福島原発構内や中間貯蔵施設の現状を視察
福島原発事故の後、県内でも下野市議会を含む多くの市町議会が「脱原発のエネルギー政策を求める意見書」を採択し国に提出しました。しかし、事故から13年過ぎた今も約3万人の方が避難生活を強いられる一方で、各地の原発が再稼動され、福島の汚染処理水は漁業関係者の了解を得ないまま海洋放出され、除染した汚染土や各地に拡散した指定廃棄物は今も処分の目処が立っていません。福島の帰還困難区域では地域崩壊や家族断絶が進む中、これだけの被害に誰も責任をとらず、原子力緊急事態宣言はいまだ解除されないままです。更にウクライナ紛争では原発が戦争の標的になることも明らかになりました。
このような背景の下、福島原発の現状を改めて体験するため福島第一原発構内を含む現地視察会が企画され、当会からも有志が参加しました。以下、現地での写真と共に概要を紹介します。
日時 2024年3月22日(金)~23日(土)
視察経路
1日目:12:45東電廃炉資料館(集合、結団式)~廃炉資料館内見学〜バスで福島第一原発構内視察
~廃炉資料館へ戻り〜懇親会(楢葉町、なら福)〜宿泊(バリューザホテル楢葉木戸駅前)
2日目:9:30中間貯蔵工事情報センター(工事状況解説)〜バスで帰還困難区域の視察(さんらいとおおくま
〜大熊3工区土壌貯蔵施設〜海渡神社〜熊川公民館〜工事情報センターへ戻り)
〜大熊町復興拠点「linkる大熊」(昼食)〜JR大野駅(元大熊町職員・石田様の話)
主催 原発いらない栃木の会(当会も参加する市民団体)
協力 東京電力ホールディングス(株)
参加者 栃木県内の市民26名(うち下野市民6名)
今回は初めて福島第一原発の構内も視察することができ、改めて大震災と原子炉爆発の深刻な被害を目の当たりにしました。東電は燃料デブリの取り出し保管と放射性廃棄物の分散保管に拘っていますが、それはいつまでかかるのでしょうか。今も終息せず先の見えない現地の大変な状況を実感することもできました。甚大な被害の記憶が薄れかねない中、私たちは原発事故のもたらした実態を直視すると共に、このような原発を今後も稼働していくのか、改めて考え直す必要があると思います。
↑2日間の工程地図(黒の矢印は1日目、青の矢印は2日目を示す)
東電廃炉資料館の正面外観(最初の集合地点、外観は旧エネルギー館を踏襲)
廃炉資料館前に参加者が集まり結団式を行う(右側から主催団体の野崎事務局長と大木代表)
廃炉資料館内の会議室で東電側関係者から挨拶を受ける。
廃炉資料館内の展示動画(東電社員からのメッセージ)を見る参加者
廃炉資料館内で福島第一原発の事故状況について説明を受ける。
廃炉資料館内に展示されている福島第一原発の模型。
廃炉資料館内を見学後、会議室に戻って今回の視察の事前説明と質疑が行われた。
大熊町内の国道6号線を福一原発まで北上する(帰還困難区域)
福島第一原発の構内視察工程を示す地図。全て東電のバスで移動する。
汚染水タンク、ALPS処理施設、処理水タンク、原子炉建屋、処理水の海洋放出施設等を視察する。
写真撮影は全面禁止なので、以下の構内写真は全て東電が撮影し提供したもの。
福島第一原発構内入口の管理棟(壁一面に協力企業のロゴが並ぶ)
厳重なボディチェックを受け、名札や積算線量計を身に付けてから視察の説明を聞く。
バスを降りて原子炉建屋を目前に見渡す展望台に立つ参加者。
因みにここでの空間線量計は約50μSv/hを示し、滞在は10分までが限界と言われた。
1号機建屋(殆ど骨組みだけ、まだ使用済み核燃料が残っている)
2号機建屋(使用済み核燃料の取り出し作業準備中)
3号建屋(使用済み核燃料は取り出し済み、燃料プールの上にドーム型の屋根を設置)
4号機建屋(使用済み核燃料は取り出し済み、燃料取り出し用カバーが残る)
1号機の北側に残る「座屈タンク」(津波の直撃を受けて変形したもの)
津波の衝撃がいかに激しいものかを物語る。
2号機・3号機建屋をバックに参加者の集合写真
多核種除去施設(ALPS)の建屋
(ここで汚染水に含まれるトリチウム以外の核種が全て除去されるという)
K4タンク群(ALPS処理水の残留核種を検査評価するためのタンク)
5号機、6号機建屋(震災時、非常用発電機が1台残ったため大事故に至らず、今も人が
入れる状態。ただし、これらも含め福島第一・第二とも全て廃炉が決まっている)
処理水を海洋放出するため海底トンネルをシールド掘削した円盤(修復品)
5号機・6号機の東側に広がる太平洋を望む。
処理水は海水で100倍超に希釈した後、この前方1km先の海中に自然流下で放出される。
1日目の視察終了後、楢葉町の「なら福」で参加者による総括と懇親会を行いました。
1日目に宿泊した楢葉町の「バリューザホテル」(利用者は原発作業者が主だが、新しいので設備もよい)
2日目の朝、大熊町にある中間貯蔵工事情報センターを訪問、元大熊町職員の石田様と合流する。
中間貯蔵工事情報センター内で、JESEOの職員より視察前に中間貯蔵施設の概要が説明された。
中間貯蔵施設の視察工程マップ(福島第一原発南側の中間貯蔵施設と関連施設を視察する)
サンライトおおくま(元特養ホーム)に設置された展望台から大熊④工区で工事中の土壌貯蔵施設を望む
(後方に見えるのは福島第一原発で、ここはもちろん帰還困難区域である)
同上、展望台に集まる参加者
大熊③工区で工事中の土壌貯蔵施設を見る参加者(遮水シートが積み上げ土壌の表面を覆っている)
これらの施設に中間貯蔵された汚染土壌は県外の最終処分場で分散保管すると言うが、具体的な目処は
立っていない。また、一部は公共工事で再生利用することを企画している。いずれも放射性物質の集中
保管原則からは外れることになる。
海渡(みわたり)神社の境内にて(紅い花は満開の寒緋桜)
大熊町小入野地区は福島原発事故で全住民が避難となったが、先祖代々の墓地を放置するに忍びず、
墓石と墓誌を海渡神社の境内に集中移設した。神社の境内に墓石が並ぶのは極めて異例の光景である。
海渡神社境内での集合写真
熊川公民館の廃墟(3.11の津波の爪痕が今も生々しく残されている)
大熊町の新しい交流施設「link(りんく)る大熊」で昼食をとる参加者
linkる大熊から向かった先はJR大野駅(3.11の震災で被害を受けたが復旧した)
大野駅舎内で石田様の説明を聞く参加者
元大熊町職員だった石田様からは、原発事故で町職員がどう対処していいか分からない時に、東電関係者が一夜でいなくなった(避難して行った)ことなど生々しい話を聞かされた。
大野駅舎の待合室に設置されたディスプレイ(空間線量の分布がリアルタイムで表示される)
帰還困難区域に関する参考マップ
浪江町・双葉町の全域、大熊町の半分は今も帰還困難区域である。
この情報は、「環境問題を考える会」により登録されました。