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下野市の几号水準点 (文化材)下野市に二ヶ所あります。

公開日:2020年08月24日 最終更新日:2022年04月19日
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下野市の几号水準点 (文化材)下野市に二ヶ所あります。

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几号とは、初期の水準測量 (几号高低票)明治初期における几号高低票。内務省1876年(明治9年)頃から水準測量を開始しました。当時は水準測量を高低測量とも言いました。この測量で用いられた几号「記号」と言われる標識が各地に残存しています。いわれる「几号」の「几」は「几帳面」の「几」で「き」と読みますが広辞苑によれば几は机の意味があります。この標識は記号が三脚のついた机に似ており、このように呼ばれたと思われます「几号水準点」、「高低几号」又は漢字の「不」に似ているので、まれに「不号水準点」といわれたこともあったようです。

几号は下から2段目の台石に刻まれている。

いずれにしても明治初期に内務省(内務卿:大久保利通)が地図づくりを試みていた当時の水準点であり建物、鳥居などの永久構造物に刻印され、まれに独立した票石の場合もあるそうです。下野市旧石橋町字花ノ木「花ノ木権現」現在石橋中央コミュニティセンターあるが、昭和20年代には、石橋警察署の交番があり。交番の西北側に「花ノ木妙法供養塔」あった。その後、石橋警察署の独身寮建設により、愛宕神社東の道路に南を向いて移設されたがその後また、移設され現在は愛宕神社の東の供養塔の中にある。もう一つの几号は、下野市旧国分寺町小金井上町「一九夜塔」上町公民館ポンプ小屋裏手に移設され一九夜 塔台座側面にある。いずれにしても、大変貴重な明治初期行われた水準測量の文化財であり興味がある方は訪れて見てくださいね。
ネット調べ

立ち並ぶ供養塔群の中にある

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