環境問題を考える会
                             

福島原発周辺の現地視察に参加(環境問題を考える会)

 福島原発事故の後、県内でも下野市議会を含む多くの市町議会が「脱原発のエネルギー政策を求める意見書」を採択し国に提出しました。しかし、事故から8年過ぎた今も4万人以上の方が避難生活を強いられる一方で、各地の原発が再稼動され、福島の汚染水は増え続け、除染した汚染土や各地に拡散した指定廃棄物は今も処分の目処が立っていません。福島原発事故の責任を問う東電刑事裁判では東京地裁が全員無罪の判決を下し、これだけの被害に誰も責任をとらないままになっています。
 このような背景の下、改めて福島原発事故の影響を体験するため市民団体による現地視察会が企画され、当会からも有志が参加しました。以下、現地での写真と共に概要を紹介します。

日時 11月23日(土)〜24日(日)
視察経路
1日目:川俣町〜飯舘村(仮置場)〜南相馬市(仮設住宅、復興住宅、太田小学校、元南相馬市長と面談)〜浪江町〜南相馬市(宿泊)
2日目:南相馬市〜双葉町(中間貯蔵施設)〜富岡町(福島第2原発、廃炉資料館)
主催 原発いらない栃木の会(当会も参加)
参加者 栃木県内の市民12名

 当日はあいにくの小雨模様でしたが、今も収束しない現地の大変な状況について、放射線量をチェックしながら実感することができました。甚大な被害の記憶が薄れかねない中、私たちは改めて原発の問題に向き合う必要があると思います。

東北自動車道を二本松ICで降り、国道4号線を北上して集合場所の道の駅川俣へ向かう。
道の駅川俣に参加者全員が集合。出発前のミーティングで案内役の大木弁護士から予定のルートを聞く参加者一同。
川俣町から県道12号線に沿って飯舘村へ向かう。写真は飯舘村の中にある仮置場。前方にフレコンバッグ(除染土等の袋詰め)の山が見える。周囲の人家は避難したままなのか人影がない。
飯舘村の山間部に設置されているイノシシの捕獲用罠。住民が避難した後は人家の周辺にも野生のイノシシが出没しているとのこと。
飯舘村の中心部にある放射線モニタリングポスト。今は表示されてないが、手持ちの線量計では0.44μSv/hを表示した。前方の建物は無人の廃墟。
南相馬市に入り、牛越地区の仮設住宅を見学する参加者。木造平屋の集合住宅で、今は全て空き家になっている。一旦取り壊して再利用も検討中とのこと。
同左。玄関前に設置された共同通路。
同左。浄化槽のタンク。
元々下水施設がないところに住宅を設置したため、下水処理施設が必要になった。なお、上水道は設置している。
同左。高齢者向けの仮設住宅。
入居者が孤立しないよう、共同通路でお互いに顔を合わせる構造になっている。
道の駅南相馬の駐車場から見える無線塔。戦前から国内最大の長波無線塔として使われ、旧原町のシンボルだったが、不要になったのと老朽化で解体され、替わりにミニサイズで復元されたもの。
原町地区から6号線を南下して小高地区へ向かう。写真はJR常磐線の小高駅。
同左。小高駅社内に掲示されているJR路線図。浪江と富岡の間(双葉地区)がいまだ不通状態であることがわかる。
小高駅舎内に表示されている放射線量。ここでは0.115μSv/hと表示しているが、どこで測定しているかは不明。
小高駅前の住宅郡。
高級住宅だが、人が住んでおらず空き家のような状態。
小高駅近くの復興住宅。
公営賃貸の1個建て平屋で、帰還住民のために設置されたそうだが、入居者は少ない。
JR常磐線の浪江駅。
ここから南(双葉地区)へはいまだ通じていない。
浪江駅前のモニタリングポスト。
放射線量は0.202μSv/hを表示しており、小高駅より高いのがわかる。
小高地区へ戻り、太田小学校・太田幼稚園を見る。
太田幼稚園は児童の減少と保育士不足で廃園になった。太田小学校は存続しているが、児童が少なくて厳しいとのこと。
太田幼稚園の敷地内にあるモニタリングポスト。
放射線量は0.120μSv/hを表示しているが、局所除染の効果なのか、手持ちの線量計で測定するとこれより3割以上高くなる。
原町大甕地区で高台から汚染廃棄物の仮置場を望む。かなりの量が双葉町の中間貯蔵施設に移送されたらしい。
大甕公会堂にて元南相馬市長の桜井勝延さんと面談する参加者一同。桜井元市長からは原発事故当時の被害と市民の避難対応、その後の復興努力等、厳しい体験が生々しく語られました。
原発事故当時の深刻な状況と市民の避難誘導、その後の復興努力等、厳しい体験が生々しく語られました。
原町地区のホテルにチェックインした後、南相馬市内で桜井さんを囲んでの夕食会が催され、親睦を深めることができました。
参加者一行が宿泊したビジネスホテル「ジュネス・リヴィエール」。
仮設住宅のような建屋なので、元々除染作業者の宿泊施設として作られたものらしい。
2日目、再度浪江町へ向かい帰還困難区域に入るため、加倉スクリーニング場でチェックを受ける参加者の車。ここでは氏名等を確認し、累積線量計や放射線防護服(着用は任意)が渡される。
帰還困難区域の標識。
ここから先は放射線量が高いので、帰宅して住むことはできない。双葉町に入ると町中は文字通りゴーストタウンだった。
旧双葉町役場の建物。
原発の補助金で造られた豪華な庁舎だが、原発事故によって今は廃墟ビルになっている。モニタリングポストの表示は0.212μSv/hだったが、手持ちの線量計ではこの倍近くを表示した。
福島第1原発に近い中間貯蔵施設の道路ぎわに放置された車。
東日本大震災の津波で流されたまま放置されたものと見られる。
同左。中間貯蔵施設に集積された汚染廃棄物の山。これは中間貯蔵だが、最終処分場はどうなるのだろうか。
左記の近くにある焼却灰保管場の建設現場。
廃棄物の焼却灰も放射能が高いので中間貯蔵する必要がある。
双葉町内を案内していただいた武藤さん(双葉町の行政区長)の自宅付近を視察する参加者。
この直後、突然イノシシが突進してきて参加者の間をすり抜けて行きました。衝撃の体験でした。
国道6号を南下し、富岡町の東電・廃炉資料館を訪問。
元々は原発をPRするエネルギー館だったが、原発事故の後、その反省と教訓を伝承するための施設になったとのこと。
同左、廃炉資料館の内部で展示物を見る参加者。
原発事故の責任を誰もとらないままで、事故原因の説明は言い訳のように聞こえる。
福島第2原発の敷地入口にあるスクリーニング場。ここで累積線量計を返却する。因みに参加者の累積線量は0.7〜0.9μSvでした。
なお、原発敷地内に入ることはできない。
同左、駐車場で視察終了のミーティングを行う参加者。
右から2人目が案内していただいた武藤さん。
帰還困難地区等の地図。
赤の部分が帰還困難区域で、事故直後は年間50mSv以上、その後も年間20mSvを下回らないと想定された地区を示す。

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